自分をしばる思いこみ

 私たちは成長する過程で、あれこれの「思いこみ」を身につけてきます。そうした「思いこみ」のなかには、たとえば、「だいじょうぶ、うまくやっていける」、「私を大切に思ってくれてる人がいる」というように、私たちを生きやすくしてくれるようなものもあれば、逆に、「結局は、うまくいかないに決まってる」、「私はだれからも迷惑がられている」といったように、どうにも生きづらくしてしまうようなものもあります。

 こうした「思いこみ」を、認知行動療法では「信念」と呼びますが、私たちは自分が経験するあれこれの出来事や状況をそのまま受けとめるのでなく、こうした「信念」で色づけして受け取っているのです。言ってみれば、私たちは「信念」という色眼鏡を通して、自分自身を、そして周りの世界を見ているのです。
 認知行動療法では、自分を生きづらくさせている「不合理な信念」に気づき、それを現実に即した「合理的な信念」に変えていくことで、もう少しゆとりのある生き方ができるようになることを目指します。


自分の本心に気づくための問いかけ

 まず、「私は、……できない」という文章枠を使って、折りに触れてあなたの心に浮かんでくる「できないこと」を探してみてください。たとえば、「私は、整理ができない」とか、「私は、人とうまく付きあうことができない」とか、「私は、最後までやり遂げることができない」といったふうです。

  いくつか見つけ出すことができましたか。では次に、中身はそのままにして、文章の枠を「私は、……しないといけない」に置き換えてみてください。

 すると、「私は、きちんと整理しないといけない」、「私は、人とうまく付きあわないといけない」、「私は、最後までやり遂げないといけない」という文章になり、それがやれない自分をとがめるような文章ができあがります。

 こうした言葉を何回か自分に向かってつぶやいてみると、それは子どもの頃、親や先生から言い聞かされた言葉だったりすることに気づいたりしませんか。つまり、こうした自分をとがめるような言葉は、しばしば周囲の人の考えを鵜呑みにして、取り込んでしまったものだったりするのです。そうした忠告の多くは、一般的にいえば、役立つものでしょう。でも、あなたは本当にそうしたいと考えているのでしょうか。

 そこで次に、その中身を「私は、……したい」という文章枠に入れてみてください。すると今度は、「私は、きちんと整理したい」、「私は、人とうまく付き合いたい」、「私は、最後までやり遂げたい」という文章ができあがります。

 この文章を2,3度つぶやいてみると、内容によっては、「それは時と場合によるし、そもそも私にとってそれほど重要なことではない」といった思いが浮かんでくることがあります。「整理できているのは良いだろうけど、今のままでも困らない」とか、「人とうまく付き合うといっても、それは相手による」とか、「最後までやらないのは、自分には興味が持てないことだからだ。面白くもないことをやり続けて時間を無駄にするより、さっさと方向転換する方がいい」といった考えが浮かんできたりします。

 こういうふうに、「……しないといけない」のなかには、「……したい」へとすんなりつながるものと、つながらないものが混在しています。そして、「……したい」とはつながらない思い込みこそが私たちを追い立てているものの正体なのです。  「自分はダメだなあ」とあなたの内側でつぶやく声を聞いたら、それを「……したい」に置き換えて、本当にそれがじぶんのしたいことなのかどうか、一度確かめてみてください。


不合理な信念と合理的な信念との見分け方

(1)その信念は、あなたを前向きにしてくれますか?
  ・できなかったことでなく、やれたことをとらえようとしていますか。
  ・いやな気分を引きずるようなものになっていませんか。
  ○前向きな気持ちを生み出さないような信念は、不合理な信念です。

(2)その信念は、事実をふまえたものですか?
  ・どのようなこと(事実)から、その信念はたんなる思い込みではないということができますか。
  ・過度の一般化をしていませんか。本当にそれはいつも起こることですか。
  ○自分の信念に合うようなことばかりを拾いあげて作り出した信念は、不合理な信念です。

(3)その信念には、柔軟性がありますか?
  これは一つの考え方であり、他にも違うとらえ方があるということを、受け入れることができますか。
  ○他の考え方をゆるさないような信念は、不合理な信念です。

よくある不合理な信念

(1)「ねばならない」という思いこみ
 「約束は守らなければならない」、「人には優しくしなければならない」など、私たちはいろいろな「ねばならない」を持っています。そのすべてが不合理な信念だというのではありませんが、こうした「ねばならない」には、いつでも、どこでも、自分の思うように事を運ぼうとする願望優先の態度が隠されています。

 たとえば、「人に好感を持たれる人間でないといけない」という「ねばならない」には、いつでも、どこでも、人に好感を持ってもらえるようでないといけないという完全主義的な願望が隠れています。人の気に入られたいと願うのは誰しもそうですが、世の中には私の嫌いな人がいるように、私のことを気に入らない人もいるはずです。そう考えると、お互い様なのでしょう。


(2)悲観的な思いこみ
 「ろくなことがない」、「どうしようもない」、「救いようがない」、「同じことの繰り返しだ」、「絶望的だ」といったような言葉を、しらずしらず口にしていませんか。こうした言葉の背後には、事実をはっきりと見ようとせず、悲観的な思いこみに流されてしまいがちな態度が隠されています。

 「何をやろうと無駄だ。どうしようもない」という人に限って、状況を無視した独りよがりの努力を続け、視点を変えてみようとしていないのかもしれません。こうした悲観的な思い込みを修正するには、何がどうなっているか事実をきちんと把握し、時と所が変わっても、その考え方が当てはまるのかどうか自問自答してみることです。


(3)自己卑下と非難の思いこみ
 ちょっとしたミスやうまくいかないことがあると、「こんなこともできない、ダメな人間だ」と自分を全否定するようなことをしていませんか。「ダメ」だったのは、あなたのそのときの行動であって、あなたのすべてが「ダメ」なわけではありません。同様に、対人関係がうまくいかないのは、あなたに人間としての魅力がないためではなく、あなたのそのときの行動に不適切な部分があったからかもしれません。

 これとは逆に、相手を頭から非難することで、自分の責任を回避しようとするような思いこみもあります。たとえば、夫婦喧嘩が絶えないのは相手の性格に問題があるからだ、と決めつけてしまうようなとらえ方がそうです。このように責任を相手になすりつけてしまうと一見気が楽なように思えますが、よく考えてみると、自分の力では夫婦の関係をどうにもできないということになり、結局は無力感を感じることになるのです。

 自分や相手を全否定してしまうのでなく、具体的にどのような行動が問題となっているのか、どうすればそれを改善できるか考えてみましょう。


(4)「耐えられない」という思いこみ
 「夫の態度には我慢できない」、「今の会社は耐えられない」というように、「耐えられない」という思いこみにとらわれているとき、「自分には耐えられないということが、なぜ分かるのだろうか」、「今まで耐えてきたのに、これ以上は耐えられないと思うのは、どういうことからだろうか」と自分に問いかけてみてください。「耐えられない」という判断は事実に基づくものなのでしょうか。それとも、気分に流された思いこみなのでしょうか。

 こうした視点から捉えなおしてみると、ときには、耐えられないという思いこみを支えているもう一つ別の思いこみ、たとえば、「自分には状況を変えるだけの力なんかない」といった思いこみに気づいたりすることもあります。



 真珠の中心には、砂粒や珊瑚のかけらがある。不快な異物を飲み込んだ真珠貝は、その痛みを和らげようとしてゆっくりと周囲を分泌液で覆っていき、やがてなめらかで光沢のある真珠を作り上げる。

 大きな異物を抱え込んでしまった貝は、痛みが消えるまで時間をかけて大きな真珠を形成し、さして気にならない程度の異物を抱えたときは、小さな真珠をつくりだすことになる。

 真珠貝が不快な異物を核として美しい真珠を生み出すように、あなたも、今悩んでいる問題を核として、何か価値あるものを創り出すことができればいい。


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